我々は、食べることをやめてしまったら、死に至るだろう。この「食べる」と言う行動は視覚、嗅覚、味覚の総合からなっている。視覚が食に深く関わっていることは、否定しようもないが、既に述べたのでここでは残る嗅覚・味覚について食行動を中心に述べることにする。
嗅覚・味覚のモダリティは化学物質、わけても有機化合物である。嗅覚は揮発性の有機化合物の気体化したものの感覚、味覚は唾液という液体中の有機化合物の感覚である。なぜ嗅覚や味覚に感知される物質と感知されない物質があるのかは、まだよくわかっていない。
神経機構としては、嗅覚が「嗅覚上皮」、味覚が「味蕾」によって化学物質を神経インパルスに変えている。特殊なにおい・味に応答するニューロンもあるが、広い範囲の刺激を伝えるニューロンも多いことから、ニューロン応答のパターンがにおい・味を決定づけていると考えられる。鼻孔は2つあるが、極めて近傍にあるため、視覚や聴覚のように両鼻孔間刺激差を感知できるのかは疑わしいし、またそのような機構も見出されていない。味覚に関しても、ヘーニッヒの舌の「味覚地図(舌先は甘いものを、舌の両翼は酸っぱいものを感じるというような説)」が一時脚光を浴びたが、その後の研究で、この考えは誤りであることが明らかにされている。嗅覚的空間定位は鼻の位置を継次的に動かすことでにおいの濃度勾配を知り、においの発生源を特定しているのが、我々の生活上の現実である。そして、嗅覚は味覚を装飾する。もしも味覚に嗅覚が伴わないならば、我々の味覚は極めて貧弱なものになってしまうだろう。かくして食行動は更なる動機づけをフィードバックしている訳である。
昔から盛んに、においや味の特質を「基本嗅・基本味」に要約して表そうとする学者は絶えないが、その中でも最も代表的なモデルは、ヘニングの「においのプリズム」、「味の四面体」説で、比較的少数のにおい・味で、すべてのにおい・味を表そうとするものである。すなわち、においにあっては「花・薬味・果実・樹脂・腐敗・焦げ」の6要素、味にあっては「甘い・酸っぱい・塩味・苦み」の4要素(近年では「旨味」を加えた5要素)がにおい・味の基本要素だとするのである。
これに対し、におい・味は基本要素に分解できないとするにおい・味の「総合的性質」を強調する考えもある。におい・味は視聴覚のように客観的な振幅を持たないのでこのような議論が出てくるものと思われるが、基本嗅・基本味の提唱者らは、化学物質の構造的特質に注目することによって、この問題をクリアしようとしているように見受けられる。いずれが正しいかの決着は、もつれ込む様相を呈している。