液体腐敗のない「巡りん」

僕はこれを「やじろべえ」や「竹とんぼ」のような作者不詳の我が国の民間伝承にしたいので、僕が着想したことは伏せて普及してください。

※当然のことですが、中央の勾玉(まがたま)状の器は固定台なり固定棒による固定が必要です。また、このままの形状で作っても、空気圧が足りなくて動作しません。動作原理を示したかっただけです。もし現実にこの原理を働かせたければ、以下のようなものを使って家庭で動作確認してみてください。

身の丈がショボい人間未満の原始人の僕が考えた世界一ショボい永久機関「巡りん」

 

↓ 水圧による空気への上昇圧力を用いた勾玉(まがたま)状の「巡りん」(2015年6月30日着想)。

※「巡りん」は固定台なり固定棒による設置が必要です。また、このままの形状で作っても、空気圧が足りなくて動作しません。動作原理を示したかっただけです。もし現実に動作する「巡りん」を体感したければ、以下のようなものを使って家庭で動作確認をすれば良いでしょう。

 これを着想してみて改めて思ったことは、「成果が出なくても考えることの大切さ」です。実は僕は頭が悪くて、小中高の成績は平均以下でして、「巡りん」を着想するだけで15年呻吟してこの有様です。世間では「桃栗三年柿八年」とか「首振り三年ころ八年」とか申します。なので、「桃栗三年柿八年永久機関十五年」、「首振り三年ころ八年永久機関十五年」と申せましょう。

 しかし、こんなことを「熱力学第1・第2法則」を持ち出して否定する狂信的教条主義者しかYahoo!知恵袋にはいないようで、ハッキリ言って彼らはクレイジーです(ちなみに彼らは僕のことを「理論を知らない低知能」だと言っているが、そんなことは言われなくても自覚しとるわ、と言ってやりたい)。見当違いも甚だしく、これらと「熱力学第1・第2法則」のどこが被るのか、きちんと平仄が合うように説明してみろい、と訊きたいです(たとえば、この場合のdUは何でδQは何でδWは何でdU=δQ+δWと言う式は具体的に何の表現なのか等です(言うまでもなく、「熱力学第1・第2法則」の最大の欠陥は、絶対零度をエネルギー収支の原点と考えないところにあります。絶対零度でさえエネルギーがゼロと言うことはあり得ないはずです。なぜなら空間が存在すること自体にエネルギーが必要なはずだからです))。彼らは「道は一つではない」ことを知らないのでしょう。どうか彼らのペテンに騙されないでください。それと同時に、YouTubeなどにアップされている「永久機関」と称する動画は、100%が過去に動作しないことが実証された昔のひとのアイディアで、全部イカサマです。動画の投稿主たちには「なぜ自分で考えないのか?」と疑念を投げかけておきます。永久機関についてのでっち上げられた困難さに対する反論はこちらで見ることができます。

注1)陶器やガラスで作った場合の廃棄の方法‥‥活火山の火口に投棄のこと

注2)僕はこれを「やじろべえ」や「竹とんぼ」のような作者不詳の我が国の民間伝承にしたいので、僕が着想したことは伏せて語り継がれることを望みます(僕は親から頂戴する志だけで暮らしており、基本的に自分の知恵や考えをお金に換えることはしておりません)。筆者人間の本来の暮らしについての自分なりの課題をたくさん抱えております。静かにそれらを考えるためには、こんなところで大げさに騒がれることが一番迷惑です。お心遣いよろしくお願いします。

 親から子へ、子から孫へ

「がん」の「利水力欠乏仮説」

 

 筆者は長年にわたり、さまざまな疾病の患者さんと出会う機会が多く、それは心理的な問題を抱えたひとであったり、身体疾患の患者さんであることも多かった。

 我が国においては、死因のトップは「がん」であり、5年生存率は70パーセントに届く勢いで医学も進歩してはいるが、未だに医学界には「がん」の病態の本質を捉えた説は登場してはいない。

 さまざまなひととのかかわりの中で、僕はがん患者さんを10人程度見てきたわけであるが、あるときふとがん患者さんに共通の特質ではないかと思う体質に気づいた。

 それは、がん患者さんの全身にわたる細胞内利水力(浸透圧調節機構の正常性)、分けても新鮮な水の代謝力が小さいのではないか、と言う観察上の知見である。

 もちろんそれは、よく化粧品のCMなどで訴求されているような「お肌のハリ、ツヤ」などと言う表面上の利水力のことではなく、人間の全身、あるいは五臓六腑に満ちあふれるような全体的な体細胞の利水力のことである。

 そしてそれは、全身の細胞の利水性浸透圧調節機構の問題なのであろう。それが証拠に「がん」で死ぬ海洋生物は(若干の貝類を除いて)大方いない(海洋のプラスチック片の散乱などにより今後海洋生物が「がん」に罹る可能性は否定できない)。また、多くの魚では浸透圧調節の役割が小さい。それはがんが腔腸動物特有の病気であることを意味する。がんは有機体の他のどの臓器よりもタンパク質合成のために栄養分を消費する。また、この事実はヒト小腸ではなぜ「がん」がほとんどできないかも説明する(言うまでもなくヒト小腸は体内で水分代謝が最も盛んであり、浸透圧調節機構の異常が起きにくい)。

 また、良く俗に「身体を温めるとがんになりにくい」と言う。これは、炎天下で仕事をするのとおなじように、身体を温めると水分代謝が活発化するからであると考えられる。ここにひとつの「がん予防薬」のヒントを見出すことはできないだろうか。筆者のインスピレーションでは石を栄養源とするバクテリアなどががんの予防や治療で有望なように思われる。

 加えて、水分滞留部位以外の水代謝が活発な、脇や股のような常に水代謝を行っている部位には「がん」は発生しない。妊婦や胎児にも「がん」は好発しない。水分再代謝の活発な体部位に「がん」は好発する。

 「がん」になる条件研究は山際勝三郎と市川厚一の先駆的研究から我が国では盛んであるが、「がん」の病態的本質についての究明はこれまでほとんどなされてこなかった。確かに、我が国のがん学会などではタンパク質燃焼物質である「トリプP1」などの発がん性物質の解明には血のにじむような努力がなされてきた。ただ、ひとつ筆者にとって気がかりなのは、それだけですべてのがんが説明できない、と言うところなのである。

 もともと僕は「がん」と聴いたときにひとつのインスピレーションを持った。それは、「(新鮮な水代謝の滞留の結果)生化学的な塩基配列か何か(たとえば、浸透圧調節の異常による酸素代謝機構)がねじれている」と言うものであった。以上に書いた「利水力」に限らずこのインスピレーションで「がん」を見てゆけば、いずれ自ずと「がん」の病態の本質をつかめるだろう。

 この知見が何らかの形でがんの予防や治療のヒントになれば幸いである。

 ※HIVの発生機序と治療のヒントは「腸内フローラ」にあると見ているが、詳しいお話は後日改めて書くことにする。

寝癖の生態学

 みなさんは、夜眠るときに頭髪に「寝癖」がつくのが気になったことはありませんか。

 少しでもイカしたヘアスタイルをしたいひとにとっては悩ましいお話です。

 しかし、動物の生理現象にはそれぞれなりに何らかの「意味」があると考えると、「寝癖」の意味とは一体何なんでしょうか。

 僕はよく風呂上がりにそのまま眠ってしまい、多くの髪の毛が逆立っているのに後から気付いて、水に濡らして普段の髪型に戻すと言うようなことがままあります。

 しかし、髪がボサボサなことにはそれなりの生理学的、また生態学的な理由があるのではないか、と思い始めました。

 一番思うのは、髪の毛がボサボサだと言うことは、就寝時の髪の静電気量が一番多いときなのでは、と言うことです。そしてそれは、人間が一番無防備になるときなので、せめてもの「生きた振り(擬態)」なのではないか、と言うことです。

 なので、朝起きてからも我々はしばらくはボーッとしているのでその状態は維持されるのではないか、と。

 それは同時に、外見上「コイツはズゲェ」と思わせ、攻撃から身を守るための身体の知恵なのではないか、と。

 異論はあろうが、僕はそう思っている。

「オルフィレウスの永久機関」

 これは僕の考えた永久機関「巡りん」です。ただし、このままの形状で作っても、空気圧が足りなくて動作しません。動作原理を示したかっただけです。

 この原理を身近に体感したければ、以下のようにすれば良い。

 筆者、冒頭に記した「巡りん」など(僕がこれまで着想した10個ほどの永久機関を着想したそもそものことのはじまりには、自分がガキの頃TBSブリタニカの「世界ワンダー百科」と言う本にその話が書いてあり、「そうか、できるのか!!」と感動した体験があったことはすでに述べた。

 そして、ガキの僕には仕掛けが複雑すぎてよく理解できなかったことも。

 今、自分なりにその作動原理を推測してみよ、と言われれば、全く何も思わないわけではなく、「あんな可能性こんな可能性」を思い描くことは身の丈がショボい原始人なりにできる。

 とにかく車輪をずーっと回し続ける力がいかにしたらできるのか、については2つの考えがなんとなく僕の中にはある。

 一つ目は、傾いている丸太らしきものの重みで何らかの仕掛けをした滑車が永久に回り続ける、と言う説である。その「何らかの仕掛け」と言うのは、縄か滑車自体に一ベクトルにしか運動しない仕掛けを考えたか(つまり、例えば2つの丸太が回るときに真ん中に錘を吊り下げた場合に、それを結ぶ糸が円周の上側では引っ張り合うから機能しないので、引っ張り合わないような仕組みを考えた)、「縄が縄を呼ぶ」、つまり縄が一方向にしか回らない何らかの力の不均衡(例えば、滑車に吊された紐と丸太とその回転力のトリプルの回転力)を喚ぶ仕掛けをしたか、のいずれかのように思われる(たとえば、扁平なメビウスの輪状の縄を使用して錘のついた紐を巻かれた2本の丸太の順方向回転運動の回転力合力を力に変えて順番に錘が接地すると巻いたネジの力が解放され、丸太を引き戻す機構にすれば輪の動きと位置ポテンシャルと矛盾力のすべてを加算的に力として使えるのでエネルギー保存則にも逆らわず滑車を回し続けるようにできる、など(この場合、錘が下がる力には、反対方向への回転力の拮抗だけでそれに相当する力が得られることは理論上分かるであろうし、様々な運動の力への変換には滑車とせり上がり環を用いると良い))。彼自身の解説によれば、ふたつの車輪に取り付けられたそれぞれの重心が釣り合うことのない錘の移動によりイントレランスを得ていたらしい。先述のように、2つの車輪の間にかけられた紐に錘が吊してあり、両車輪が逆に回ることができれば錘の位置ポテンシャルは変わらない。同時に、錘の吊るしどころが考慮されたものであっても同様の効果を得ることができる。また、2つの車輪の中に錘玉が動く通路があって、それらの通路が重心が車輪中央にさしかかるとストッページされるような仕掛けになっていて、それらは一方が強い力を出しているときにはもう一方は弱い力でと言った具合に力を補弼し合う仕組みだったのかも知れない。仮に重心が定まらない2本の丸太を利用していたとするならば、丸太の不安定性を1本は不安定運動の元手にして、もう一方はそのショックアブソーバーにしていた、あるいは、それが交互に繰り返される仕組みだったのかも知れない。それが「重心が永久に釣り合わない」と言うことの意味だったのかも知れない。そんな風に、たぶん常にモーメントが働く仕掛けを考案したのであろう。言うまでもなく、重力中の物理においては、重心が安定しない限りはものは理論上永久に運動すると言うのは常識ではある。

 二つ目は、丸太らしきものの重みで常に荷重がかかっているのを利用して、何らかのイントレランスを生む仕掛けでそれを運動に変える仕掛けを考えた、つまり、たとえばどこまでか丸太が下がると水の浮力と水かさの上昇で、下がらないうちは丸太自身の重力で車輪を回し続ける仕掛けにした、つまり丸太の位置ポテンシャルを力に換え続けることによってシーソー的に満遍なく力を得、いわゆる「てこの原理」で必要以上の力を得(ただし、てこのアーム上を錘玉・金属紐巻き玉が移動するなどの付加的時差的なモーメントアームが必要になる/そのままだとただ距離と重さの積が釣り合うように動くので、イントレランスが得られないが、そのようにすれば、錘玉・金属紐巻き玉の移動速度は専らアームの傾斜度のみに依存するので、「均衡のための錘玉」ではなくなり「綺麗なバランス」は崩すことができる)、車輪も丸太の位置をコントロールすることで丸太の位置も自然とローテーションするように仕掛けたと言う説である。オルフィレウスには分かっていたことだろうとは思うが、永久機関に一番使えるのは、いわゆる「てこの原理」であろう。「てこの原理」を使えば、大変な垂直の力を要する釘も釘抜きで最低限の力で釘が抜ける。作用より強い反作用を得るのには釘抜きはもってこいかと思われる(空気ピストンの直上でこれを押し下げる錘を据える。錘が十分に重ければピストンの空気は圧力が高まり、てこの長い側があるところに達するまでは空気弁が閉じられ力をためるようにし、あるところに達すると弁が開いてたまっていたエネルギーが放出され、それで錘の据えられたてこの反対側(長い側)を押しててこで錘を引き上げるとともに再び空気弁を閉じる。てこは元の位置に戻るだけでなく余剰な力を他で回収するようにすればそれも立派な永久機関になる(もちろん、てこは力の保存則に従うが、長い側を元に戻すのに電磁石あるいは回転輪を支点に据えることでそれ以上の力が得られるはずである。しかも、長い方の下部にロール状の定位置の電磁石を据え、これを回転させればさらに大きな電力を得ることができるばかりでなく、空気ピストン自体を磁性体にしてその力を受けるシリンダーの板と反発させれば空気ピストンのキログラム重が大きければ大きいほどキログラム重以上の重さが得られるであろう))。

 さて、なぜそう思うのかというと、僕のパソコンの中にだけある「バラバランス」と言う永久機関があって、詳細は省かせていただくが、U字管のシーソーの両端におもりをつけ、U字管上をその端点ではたらくおもりの力にわずか及ばない重さのボールが転がるようにする。するとボールが転がっていった先のシーソーは沈み、逆側のシーソーは浮き上がる。浮き上がると接地していたおもりが効いてシーソーを引き下げる。するとボールが来て逆側のおもりが効いてボールをたぐり寄せ…を延々と繰り返す。そんなバックグラウンドがあるわけである。なぜ永久に動くのかというと、均衡点がないためだと言える(平滑になる瞬間にはボールは惰性で動いている)。

 簡単なものとして他には上戸状の器の底がどんどん細くなってその絞られた出口の口径が水鉄砲の噴射口状になって上戸に張られた水の高さより若干低い上戸の横に配置すれば、上戸の射出口と逆の射出口よりも高位の水体積が大きいほど噴射口の圧力が強くなるので、噴射口から上戸の水面に水を飛ばしてやればそれも立派な永久機関である(これは、湖と湖底から引いた細管でとするとご想像の通り小水力発電ができる)。また、「錘による回転輪」は、錘の水に対する比重を熟慮すれば、下方3分の1ほどを水没させられればイントレランスを作るのに苦労しないはずである(多くのひとは原理に目を奪われるために、毛細管のような特殊な現象に注目したり、上戸の水面と噴射口の高さが等しいと水の移動は無理だと言う理屈や回転輪は考えられた形が完態だと言う考えばかりに注目するので「あと一工夫」が足りないだけである)。

 このように、変化・位相に応じて動力原理が可変であれば、また、運動の効果と運動そのもののエネルギーが加算できれば、永久機関自体を考えることはさして困難ではない。たとえば、軸のねじれの矩が大きい螺旋円盤を考えてみよう。円盤の回転落下速度が大きければ、軸をその力でシーソーの両端上下差で得られる力を利用して上下反転させることで永久機関が可能である。

 もうひとつチップスを言っておこう。現在のアマチュア無線教科書ではなぜか説明の仕方が根本的に変わっているが、手元にある「昭和47年改訂 郵政省認定初級アマチュア無線教科書」にはハッキリと「リアクタンスは、コイルに直流電流を流したときに生じる逆起電力」と書いてある。したがって、自分のような妄想家は「(コイルは直流は流すが交流は流れにくいので)もしコイルが交流を流す巻数が少ない、もしくは伸びきったバネのような“半コイル”だったとしたならば、交流のサイクルの変わり目ごとに逆起電力が生じるので、うまくすれば元の交流電流にそれを“上乗せ”することができる」ことを。

 また、「レクテナ」を用いて電波で電気を送電する技術が端緒に付いたと言う。現在は送電効率は低いが、いずれこの問題が克服されれば、送電機1台に対して受電機は何台でも設置可能なので、既に電気的な永久機関が可能なことも明らかである。このお話が出たところで言うが、ニコラ・テスラが小さな発振器を建設中のビルに当て、発振したところ、そのビルは激しく振動したと言う。それほどの振動が小さな発振器ひとつで引き起こせるのだから、当然その振動を電気エネルギーに変えたとすれば、発振器に必要な電力の数百倍以上の電気エネルギーが得られるだろう。電気と運動の関係では、すでに永久機関がさして難しいことなくできてしまうことを示す良いお手本だと言うべきだろう。また、蛇足になるが、地殻の共振周波数を知っていれば地震予知もできる。

 いずれにせよ、彼はその仕掛けについて誰にも漏らしてはいないので、あくまで我々は良くて妄想できるくらいでしかない。で、この件にかんする筆者の妄想は、野球のスナップボールが剛速球になるように、「重さに運動が伴うとき、重さは増すであろう」くらであろうか。つまり、オルフィレウスの永久機関は丸太のきりもみ運動が単純上下動以上の力を生み出すことを利用しているのかも知れない。

 次に示す永久機関は不可能だとされている。

 もしこの装置の錘がもっと小刻みに付いている弓のようなブレードに仕掛けられた木製で、錘の重心が着水するとき左側にあるならば、装置の下部3分の1が水で満たされていたらどうであろうか。再考を迫っておきたい。

 冒頭でも述べた分かりやすい僕の考えた永久機関について最後に触れておきます。

↓ 水圧による空気への上昇圧力を用いた勾玉(まがたま)状の「巡りん」(2015年6月30日着想)。

※「巡りん」は固定台なり固定棒による設置が必要です。

 これを着想してみて改めて思ったことは、「成果が出なくても考えることの大切さ」です。実は僕は頭が悪くて、小中高の成績は平均以下でして、「巡りん」を着想するだけで15年呻吟してこの有様です。世間では「桃栗三年柿八年」とか「首振り三年ころ八年」とか申します。なので、「桃栗三年柿八年永久機関十五年」、「首振り三年ころ八年永久機関十五年」と申せましょう。

 しかし、こんなことを「熱力学第1・第2法則」を持ち出して否定する狂信的教条主義者しかYahoo!知恵袋にはいないようで、ハッキリ言って彼らはクレイジーです(ちなみに彼らは僕のことを「理論を知らない低知能」だと言っているが、そんなことは言われなくても自覚しとるわ、と言ってやりたい)。見当違いも甚だしく、これらと「熱力学第1・第2法則」のどこが被るのか、きちんと平仄が合うように説明してみろい、と訊きたいです(たとえば、この場合のdUは何でδQは何でδWは何でdU=δQ+δWと言う式は具体的に何の表現なのか等です(言うまでもなく、「熱力学第1・第2法則」の最大の欠陥は、絶対零度をエネルギー収支の原点と考えないところにあります。絶対零度でさえエネルギーがゼロと言うことはあり得ないはずです。なぜなら空間が存在すること自体にエネルギーが必要なはずだからです))。彼らは「道は一つではない」ことを知らないのでしょう。どうか彼らのペテンに騙されないでください。それと同時に、YouTubeなどにアップされている「永久機関」と称する動画は、100%が過去に動作しないことが実証された昔のひとのアイディアで、全部イカサマです。動画の投稿主たちには「なぜ自分で考えないのか?」と疑念を投げかけておきます。

注1)陶器やガラスで作った場合の廃棄の方法‥‥活火山の火口に投棄のこと

注2)僕はこれを「やじろべえ」や「竹とんぼ」のような作者不詳の我が国の民間伝承にしたいので、僕が着想したことは伏せて語り継がれることを望みます(僕は親から頂戴する志だけで暮らしており、自分の知恵や考えをお金に換えることは基本的にはしておりません)。筆者人間の本来の暮らしについての自分なりの課題をたくさん抱えております。静かにそれらを考えるためには、こんなところで大げさに騒がれることが一番迷惑です。お心遣いよろしくお願いします。

 親から子へ、子から孫へ

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電気の正体と温度

 僕は昔火遊びをして痛い目に遭ったことがあるので、火とは何かがずっと分かりませんでした。  

 この年になって少しづつ分かってきたのは、燃焼と言う現象はものの電荷を失わせる働きで、煙と言うのは失われた電荷物質の表れで、いわゆる「電気」と言うのはイオンバランスの崩れの表れで、「電気の伝導」とは「イオンバランスの崩れの逃げ道」があることではないか、と言うことです。  

 電気学的に「暑さ寒さ」を考えると、それは「フレアによるイオンの方向状態の変化」の問題ではないかと思われるのです。それはただの状態変化なので、電気の偏在そのものに特に変わったところはないと思います。

 電気は絶対零度でない限りものに温存されていると思います。

 いわゆる「風」と言うものは絶えざるフレアによるイオンの極性の変化を表現しており、たとえば「太陽風」などもこの現れであると考えることができます。

 なので実は、簡単なやり方で寒いときも暑いときもイオンバランスを適正にする技術を開発できれば、我々は電気はおろか暑さ寒さ対策にも困らなくなるのかも知れません。

 それには帯電しすぎて困っている生物か空気中の帯電分子を取り入れる物質に蓄電させるのが適切かと思われます。

 そのように自然界では常に通電現象が起こっており、その力価は太陽光パネルのように特段人為的なものでなくても採取可能かと思われます。

 我々の「物体認知」と言うのは、電気光学的状態認知と言うことなのではないでしょうか。したがって、「物」と「私」に距離があるわけではない、と言うのが真相ではないでしょうか。

砂漠緑化と温暖化対策のヒント

 僕のFacebookの「友達」の二名敦子さんの歌の内容は夏とか海を題材にした作品が多いと思うのですが、僕は人間の本来見つけるべき知恵で一番素晴らしかったのは、海水から塩を得る知恵だと思っています。  

 で、ふとビーチのことが頭をよぎって「なぜビーチは山の地層のようではなく細かい砂で埋め尽くされているんだろう」と、ちょっとした問題意識を持ちました。  

 普通の土というのはある程度粘性があって、それが海水に長年月晒されると、何らかの化学変化によって粘着成分や岩石の固形性を解きほぐす役割を担っているのではないかと思うのです。だから、古くなった陶磁器の類いはもしかしたら海辺で海水に浸かったり海水が退いてお日様に当たったりを繰り返すと砂に帰って行けるのではないか、と。  

 で、僕は思いました。海水によって失われた土壌の粘着成分を海水から採取する技術が開発されれば、その成分を砂漠に投下してやると、砂漠緑化が可能なのではないか、と。逆にカスピ海が何万年もすると砂漠に変わるのでは、と。  

 ただし、砂漠そのものに功徳がないのかと言うと、そうではありません。特に熱帯の砂漠で人間が「温熱砂風呂」にでも埋まっていれば、病気快癒・健康増進に役立ちます。それは砂の中のシリカが超短波遠赤外線(テラヘルツ波)を発しているためで、他の有害生物とブッキングしない限り、きわめて有用です。

 話を戻して、塩の取り過ぎが体に良くないのも、海水のこの性質と関係しているのではないでしょうか。

 最近とみに問題になっている地球温暖化の問題のうち、二酸化炭素関係のものはたぶん、クロレラやユーグレナの高層大気中散布でどうにかなるように思います。一番良い方法は、バルーンでそれらを高層大気中に運び、気圧差で割れる方法ですが、どの高さで割れるようにするかが苦心のしどころだと思います。

 現代の都会の因果をこれ以上の自然破壊を伴わずに回して行くために、僕はこれからの時代には大学に「リサイクル学部」を新設し、持続可能な社会を目指すべきと考えています。

放電の「糞詰まり」としての重力

 観察事実としての重力については、ニュートンの「万有引力」と言う考えで大方のものの振る舞いはお分かりであろうと思うが、その機制については誰も明確には話していないようである。  

 筆者の考えでは、重力の基礎は「物体のフリクション(摩擦)の重畳」にあると思う。  

 皆さんは「地球をはじめとする惑星のほとんどはなぜ丸いのか」と疑問に思ったことはないだろうか。  

 また、「もし万有引力が本当なら、なぜ僅かでも地上の剛体同士に何らかの力が働かないのか」と言う疑念をお持ちにならないであろうか。  

 もし「万有引力説」が正しいとするのであれば、どんなに弱い力であれ、ものとものが関係するだけでエネルギーが得られるはずだ、と考えるのが自然かと思われるが、残念ながら「万有引力」説を信じているくせに永久機関を否定する辻褄の合わない話をする「科学者」でこの世は溢れている。  

 ものとものは基本的に電気結合していることは学問のいかんを問わず言わずと知れた常識である。  

 ではなぜ地球が丸いのかは、地球の中心部に行くほど「フリクション=電子放出」が激しいからだと思うのは不自然な考えであろうか。  

 もう一歩踏み込んで言うと、地球の中心部では最も電子放出が激しいために電子同士の衝突もまた最大であろう、と言うことである。  

 筆者は、この「電子衝突の大きさ(対体積比電子インフレーションの物的許容限界越え)」が重力の正体だと見ている。つまり行き場を失った電子エネルギーの大きさが重力なのではないか、と。なので、交流電流の周波数を超極速にすると近似的にそのような状態を作ることができようかと思う。  

 宇宙空間は真空である。真空というのはフリクションがゼロの世界だと言うことである。なのでものも電子も決して止まらない。惑星による電子の放出量は惑星内部に較べると等比級数的に少ない。

 そんなことから、「重力とは抗圧力のことである」と言えなくもない。 

 取り敢えずそんな風にお星様を見ておくことにしたい。

ためにならない宇宙論

 宇宙開闢の可能性は、多くの方が考えるような熱的理由(いわゆる「ビッグ・バン」)によるのではなく、原因不明の不均質な線の発生による、と見ています。したがって、宇宙の終わりは、線の消滅によって起きるのでしょう。そのことは、いままさに量子力学が明らかにする途上にあります。

 そして星々に見られる重力は、ガス雲が何らかの状態になって発する(電子の軌道外運動による)連続的な超高周波パルスの反映だと考えています。それがお星様になるのだと思います。  

 そこで皆さんは宇宙の大部分を占める「真空空間」をどのようなものだと思いますか?  

 僕はこう思います。「真空空間」とは「線」だけで持ちこたえている空間(=世界)だと。線と言うものは、いままさに量子力学が明らかにしつつある「波動兼粒子」であり、「物」の濫觴です。おそらくは、線の交わりようにより、はじめのうちは高温の水素ガスを大量に産み出し、時間をかけて様々な元素を作り出したものと見ています。このあたりの事情は、いわゆる「錬金術」の教訓として元素が線によって変化すると言う知見などから容易に類推できることです。  

 したがって、主としてそんな来歴を持つ様々な物質は、それ自身の性質(たとえば光)も交えて複雑な宇宙を構造化したものと思われます。その意味で、宇宙というのはそれぞれ特殊な諸条件構造なのだと思います。地球大気に限ってみれば、ケイ素が大気の透明化過程に深く関与しているように思われます。  

 そのような意味で、宇宙がはじまる前の(デフォルトの)状態を、僕は「無」ではなく、「線が存在しないこと」だと見ています。 

 以前にも述べましたように僕が「時間」を何と見ているかですが、僕は「時間とは事象生起の斉即性と言う信念である」と見ています。  

 「斉即性」とは、言ってみれば場所が異なってもものごとは一時に起こっていると言う観察事実の概念化です。 その信念だと言うのは、言うまでもなく相対論で場所が異なればほんの僅かだけ時間は異なることが分かっているからです。  

 しかし、時間については光に依存してではなく、燃焼速度に依存して定義すべきと言う考え方もまた成り立ちうるように思います。  

 まぁ、我々は生活上で「ものごとの斉即性=時間」を約束的に決めても生活に支障は起こりません。それは場所ごとの誤差が無視できるくらい小さいからです。  

 僕の「時間」観はそんな感じです。  

 それでこれまた以前、放射能防護について「オゾンやタングステンが有益」と言うお話をさせていただいたかと思いますが、対策はたぶんオゾンだけではなくて、なぜ天然ウランが人畜無害で鉱脈に存在できるのか、もう少し具体的に言うと、放射線の高すぎる周波数をいかにして逓減する(たとえば何らかの物質で囲うとか太陽風のような人畜無害な範囲の宇宙風などによる)かを究明していくこともまた有用かと思います。もしかしたら放射線というのは時間をかけて物質を何ステップかで変容していくなり安定させるなりの自然的な役割を担っていたのかも知れません。しかしそれは星の生成とかかなり大袈裟なレベルのお話であって、生物にとって耐えられるものでないことは確かです。

 ひとつの放射線反応抑制の候補として僕が思うのは、「宇宙における核収支」を仔細に観察する中で、ある種のフィルタリングされた太陽風のようなものを思い浮かべるわけです。しかし、自然や人畜に無害であることなど条件がかなりタイトなので、最低でも100年スパンの問題のように思われます。ヒントとしては、「太陽の核反応の裏側で起こっている現象」に着目することは無益ではないかも知れません。 良く巷で話題になる「レーザー・ビーム」のようなものでは「自然と人畜に無害なこと」が担保できません。 

 また、「ブラックホール」と言うのは就中「光を食べる空間」のことなので、その延長である放射能を封じる何らかのヒントになるのではないかと思います。そんなものを作られたら、益より害が大きいに違いありませんが。  

 いずれにしても、核爆発の結果に責任の持てる知恵など有り得ないので人類が核を手にしたことは誤りだと思います。いかなる世界中の波動も媒体伝導する振幅なので、放射線にかんしても理屈としてはその振幅を止めるか(たとえば重力などによって)人畜無害な何らかの力に変換できれば放射線反応や爆発は防げるお話になろうかとは思いますが、放射線が一体何の振幅なのか(物理学では光ないし電磁波ないし原子だと言いますが)すら明らかではない現状を考えれば、問題解決にたぶんかなり長い時間が必要になるはずで、現状には現実的ではありません。つまり、結論から言えば、人類にとって原子力はアウトだと言わねばなりなすまい。  

 で、頭の固い学者さんには分からないと思いますが、冒頭で示唆した通り、そもそも宇宙空間と言うのは宇宙線(電磁気力線など)の伝導率が100パーセントの空間であるわけです(本当は少し違いますが)。  

 そんなわけなので、たぶん「重力」と言うのは「ものが励振に負けない力を付与すること」だろうと思います。具体的には、ガス雲が何らかの状態になって発する(電子の軌道外運動による)連続的な超高周波パルスのことでしょう。したがって、「重さ」はもののもともとの属性ではなく、重力によって与えられたものであると思います。我々は観察上「重力」それ自体を観察できるわけではなく、「ものの重さの差分」を観察できるに過ぎません。この性質を帯びたもののことを世間では「星」と言うのだと思います。  

 最後に、宇宙論を考える上でひとつだけ知っていれば良いテーゼを書いてこのお話の結びとします。

 「光学的にオンセット(点)とオフセット(滅)は速度の有無の点で極端に異なる」。このとき、以下の2点で宇宙における影の役割が現れる。ひとつは温度差による物質の秩序維持、もうひとつは影の即時性による宇宙時間の変則性(宇宙の散りばめ状時差構造)の醸成(影には速度がなく時間的遅延もない)。このように、光には速度があるけれども、影には速度自体が存在しないので、積極的に影になる方途があるのなら、それには速度がなく、したがってどんなに遠い宇宙空間にも瞬間移動できるのでしょう。

 

 このことは、恒星と惑星、そして恒星と惑星の距離に等しい惑星から離れた惑星があったとして、光の輻輳がまったくなく一番端の惑星が中間にある惑星によって恒星の光が消える場合を想像すると良いでしょう。惑星が惑星に完全に隠れる瞬間は、太陽から中間の惑星に光が届く時間と等しいはずです。

   ※以下着想当時の文章(原文ママ)

 ゼロベースでものごとを考える僕の姿勢では、宇宙の「ビッグバン説」は取りません。

 一時、宇宙の媒質として「エーテル」が仮定されていた時期があります。

 「宇宙空間(真空の影性)」とは何でしょうか。

 僕はそれを「波長だけで持ちこたえている空間」だと考えます。要するに、「エーテル」の正体は波長に置き換えて考えるのが良いと思うわけです。

 したがって、宇宙開闢前の状態を「完全な無波長状態」だと仮定します。

 この状態に不均質な波長の発生をみるところから宇宙が始まったのだと思います。理由は分かりません。

 現在の物理学では、ようやく波長が物質を作り出すと言うアイディアまでは進みました。

 そして、波長が特に輻輳するところにガス雲が産まれ、それで産まれた大方水素とヘリウムガスにさらなる波長のぶつかり合いが起きて諸物質に転成して行ったのだと考えます。

 これを「波長空間転成説」とでも呼ぶとすれば、これまで述べてきた僕の宇宙についての屁理屈がなぜ出てくるのかが理解はされなくとも屁理屈くらいには受け止められるでしょう。

 それであの重力公式が出てくるわけです。もちろん「光と影の非対称性」はその中で重要なはたらきをします。

 その主なところは以下の2点に集約されます。

 1.温度規定による「態」の決定

 2.波長減速による「系」の決定

 影が光学世界で重要なのは、これらのはたらきをするばかりではなく、僕の見上げる夜空が光の消滅においては現在、光の生成にとっては過去を物語ると言う事実に認められます。これを「光の見えない水路説」とでも呼んでおきます。

 僕はそんな風に考えています。

 …とは言うものの、ほとんど僕の妄想であり、与太話なんですけどね。