自然の贈り物としての「蜂の空の巣」

 我々はこれまで衣食住すべてにわたって「罪のない知恵」を探してきた。  

 それは要するに、我々が自然の犠牲なくしていかに生きられるかの問題と言って良い。  

 その「仙人の霞」以降の最も大きな気付きは「蜂の空の巣は衣と住(書)にとってとても大事である」と言うことである。  

 蜂は巣を作ることによってその子孫を繁栄させてきた。  

 蜂の子が育つのに適温というものがあるはずであろう。夏の暑さで腐らず、そして越冬すら可能にする彼らの巣と言うものは自然界で稀に見る天の恵みなのではなかろうか。  

 蜂は巣を1年使ったら、また新しい巣を作るべく新しい女王蜂が誕生するようになっている。  と言うことは、「お古の蜂の空の巣は自然を犠牲にしないで服飾や紙にしうる」と考えるのに罪はないであろう。製法を和紙のように考えれば、本当の意味での「日本紙」ができるだろう。  

 ところでそう言うと片っ端から現生の蜂たちの巣を刈って回る後先を考えない愚かなひとびとが出てくる恐れなしとしない。少し考えてみれば、蜂が絶滅するこのような愚行を敢行するといずれ蜂は絶滅し、お目当ての巣は消失する。なので「蜂の空の巣」と言っているわけである。  

 もしかすると、何らかの蜂の巣の成分を罪なく固形化できるのであれば、それはとても軽い建材になるはずなので、地震でどうにかなってもたぶん決して誰も犠牲にならなくなるであろう。  

 要するに、我々は「衣食住」のうち「衣」と「住」のエースとして「蜂の空の巣」を考え得るであろう。  

 もし「住」における建材としての「蜂の空の巣」が難しくても、我々にはもうひとつ選択肢がある。それは「火山灰」である。火山灰は10センチも積もれば熱帯と氷河を同居させうるほど恒温性には抜群に優れている。たとえば粘土と火山灰を調合して天日に晒すなり焼くなりすればいずれ自然に還せる建材ができるであろう。  

 他にも海に目を転ずれば、赤潮や青潮で死んだプランクトンの死骸とか、川なら腐った水の汚染成分なども何かに変えられるかも知れない。  

 他にも「タケノコの皮」とか「動物の生え替わって抜け落ちた毛」とか「宿主を失った貝殻」とか「卵の殻」とか「動物の生え替わって抜け落ちた角」とか「蝉の抜け殻」とか「ロウ」など探せばいくつもの候補がある。我々の「罪なき自然からの知恵」の探求はまだまだ続く。

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