現在、心理学では「認知心理学」が盛んで、「認知行動療法」などが心理治療に使われている。
いったい、心理学からもともとの母胎の哲学における「認識」概念が消えてしまったのはどのような理由によるのであろうか。
それにはまず、「認識とは何ぞや」と言う哲学的な問題に一応の答えを出しておく必要がある。
筆者の考えでは、「認識」とは「知を思いにフィットさせる自己説得過程」のことを言うのだと言うことを表明しておきたい。
「認知」は「それが何かを知ること」と言う意味で一意な理解がたやすいが、「認識」をそう考えると認知以上に広くて深い活動だと考えざるを得ない。 そこにはこう言う事情がある。「感情」も含む「認識」と言う概念から、理解のしやすさを担保するために「感情」を排除したら「認知」と言う概念に行き着いた。
そうすると、どこから研究を始めれば良いのかも、それを研究して何がプラスなのかと言うことも良く分からなくなってくる。
加えて最近の人工知能(AI)に見るようなコンピューターサイエンスを心理学がリードしてゆきたい、と言う心理学者たちの気負いもあるのではないだろうか。
結局、筆者が大事にしたい「認識」と言うものも、心理学では置き去りにされたままである。