ホームレスの方々の生計を立てるには

 

 僕の望みはこの国が「餓死者の出ない国」になることです。  

 一番厳しいのはホームレスの方々かと思います。表向き何の問題もなさそうな我が国でも、1週間に1人のひとが餓死する現状がそこにあります(これには虐待やネグレクトで餓死した子どもはカウントされていませんで、我が国の餓死者とほぼ同数いると見られています)。  

 そこで考えました。  

 官公庁や警察や公共交通機関の倉庫などには持ち主の分からない様々な物品が保管されていると思います。  

 その保管されている物品をホームレスの方々に貸し出し業務をしていただいたらホームレスの方々も何とか暮らせるのでは、とふと思いました。  

 典型的なものは「忘れ物」で、とりわけ「傘」が多いと思います。  

 なので主要な施設や駅に傘を置いておいて安価でレンタルすれば、みんなお天気を気にせずに様々なところに出掛けられるし、ホームレスの方々のちょっとした収入源になるような気がします。  

 他にも高級時計や貴金属もあるでしょう。一定の収入は見込めます。

 それから、さまざまなジャンルのお店で売れ残ったものやひとびとが持て余しているものを引き取って転売して生計を立てるように仕向けるのも悪くはないでしょう。街角に「ホームレス施し処」を設け、廃棄○○を一般人がそこに置いて行く習慣にすれば、どれだけホームレスの方々は助かることでしょう。

 たとえば、仲介手数料を10%取って「野営物々交換所」を営むなどです(なお、「カネの動くところに悪事あり」なので、必ず医療・警察などの社会疫学関係とは連携して動くこと)。これはホームレスだけに限ったことではなく、難民などにも言えることです。はじめのうちは品数がないと言う問題は、スタート時にホームレス支援NPOの方々の物品を使うことなどを想定すると良いと思います。 

 ホームレスの支援関係のNPOの方々などでホームレスの方々の生活支援に頭を悩ませている方々がいらっしゃいましたら、そこら辺の制度設計を国に提案して一定収入以下の方という条件でそんな事業を始めてはいかがでしょうか。

 特にホームレスの方々への心配として、「衣食住」が肝心です。国や地方自治体は、基本的人権の遵守の観点から、特に都市部で顕著な「空き家」で建築基準法上問題がないものにかんしては、彼らの集合住居などとして運用可能に制度設計してしかるべきです。それから、現在問題になっている「食品ロス」で出た余った食料をホームレスに回すための制度設計も当面必須かと思います。召し物は地域で開かれるバザーなどの余り物をあてがうようにすれば良いでしょう。その他コンビニのその他の廃棄食品などさまざまな「お下がり」をホームレスの方々の生活のために回すことも大事でしょう。

 ホームレスの方々に限らず、貧しいひとびとの深刻な問題として、必要最低限の医療も受けられないと言う問題もあります。これには貧しいひとびとや篤志家の方々で最低限のお金を集めて医療費のパイにする「医療費組合」を作り、運営すると言うこともまた大事な活動なのではないでしょうか。

 しかし僕としてはこう言うことも可能なのではと思っています。つまり、ケイ酸や黒土を焼いてテラヘルツ超遠赤外線を照射し、ひとびとに治病行為をすれば、多少の謝礼を得て暮らしを立てることもできるのではないかと。ケイ酸や黒土なら、砂や土にいくらでも含まれているので(ただし、安全にだけは十分注意してください)。

 そのようにして篤志家の方々も含めた「共同資本主義(=物品および資金のプール/ものの無償貸与を含む)」と言う考え方で、無産階級の方々の衣食住を最低は保障できるようにならないと、様々な事情からホームレスになったり無産階級のまま生きていかなければならない(僕も含めて)不器用なひとびとはその暮らしが立ち行くことはままならないでしょう。それなら商売の才覚のあるひともないひとも生きてゆけるようになるでしょう。大方のお金持ちの方々は、資本を大きくする意図でそうしています。このような方々に世の中の最下層のひとびとの救済は望めません。現在は理念だけで空虚な「人権」と言うものを確かなものにする術は最下層のひとびとを含めた「共同資本主義」の他にはないでしょう。事実、多くのこの国の庶民は、資金が枯渇しない程度にプールされていれば良いと言う慎ましやかなひとびとです。もちろん僕はひとびとのお金への呪縛、つまり「お金稼ぎだけの自由主義」を解くべく、「因果(殺生)なき生活の知恵」を人生の課題として考えていますし、死ぬまでには何かその類いの良い知恵をあと1つなり2つなりは考えて行くつもりです。しかしもっと大事なのは、僕はすでに100個ほどの知恵を絞ってきましたが、この国の全員が生涯のうちに1つだけそう言う知恵を絞ってさえくれれば、その数は1億となり、僕の虚しい努力よりも遙かに力強いでしょう。また、社会疫学を考えたら、重層的(全世代型)コミュニティもそれと同時に要請されてきます。ある意味、そう言った制度的是正こそ真に政治に求められていると思います。

 昔この国ではお坊さんが托鉢して糧を得ていました。それと同じことです。今はネットが発達しています。そう言うところに「町で拾ったホームレスの声」などを匿名にして届ける仕事もホームレス支援のNPO関係者などの方の重要な役割ではないでしょうか。  

 しかしいつか僕はこう言うことを言いました。ひとびとにモラルが育つとすれば、それはひとびとがひとびとなりに「守りたいもの」を自覚することなしにそれは育たないと。それには人生における不条理とか痛みや苦しみ、苦労をひとびとが共有できるようになる必要があると思います。

 (本当につまらない)蛇足までに付け加えておくに、都会のホームレスの方々を集めて簡単な研修を行って、疲れたひとびとの心を星空を見上げることで癒やす「星空(アストロ)セラピー」(これは僕のいい加減なネーミングです)のエージェントになっていただくのも今の時節あながちバカな話ではないのかも知れません。それくらい都会のサラリーマンでさえ息苦しさを感じているようにも見えます。  

 その治療鉄則は「何も教えてはならない、クライエントの感じたままをひたすら聴く側に回る」ぐらいでしょうか。大事なことは、心理屋の飯の食い種にするより、心の問題には何人もコミットする資格がある、と言うことです。  

 無論、都会の真ん中でクリアな星空など見えない訳で、集客・公共交通機関利用・アポ取り・施設維持およびその安全管理などいくつかのハードルはありますが、ゼロから経験値を積み上げていく仕事もあって良いのではないか、と思います。  

 そう言う着想から見ると、何かがあるムラより何もないムラの方が都会の疲れたひとびとにとっては魅力的に映るはずです。他にも心理臨床家では気付けない通勤通学時の隙間時間をサラリーマンや学生から愚痴を聴く「ホンネのぶつけ先になる」とか「全部話す療法(一定時間心に浮かんだことはすべて口に出すと言う療法)」とか「約束をひとつ療法(出勤時のサラリーマンに今日の目標を語ってもらい、帰宅時に「どうでしたか?」と結果を聴く療法)」なんかもあって良いかもです。

 他にも環境保護事業として二酸化炭素を代謝で酸素に変えるクロレラやユーグレナのバルーンによる高層大気中散布とか、タバコ火災に特化した「タバコ火災保険事業」などに彼らの活路を見出せないでしょうか。

 アフリカなどの発展途上国のひとびとまでも視野に入れるなら、家禽を殺して食べると言う発想ではなく、放牧してある家禽の消化酵素を微量採取し、培養して荒れ地の枯れ草に漬け、それを食料にはできないでしょうか。自然の道理になぞらえて言うならば、ちょうど親鳥が一度口にした食べ物を雛に与えるように。

 最後にお話が星空のことに戻りますが、ホームレスの皆さんに「潮の満ち干原理による発電」をしていただくと我々にとっても福音です。  

 星空は、晴れてさえいれば誰にでも見えます。何者のものでもあれば何者のものでもないでしょう。

 

 ※その他応用的にホームレスの方々に役立つかも知れない知恵(一例)についてはこちら(一応ホームレスの方々がお金なしに生活できる程度までは出そろっています。コピーライトは自由ですので何卒拡散の程よろしくお願いいたします)。

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