数・時間・空間・重力・お金・美・存在・意味・理解・判断・現実・言葉・芸術の13定義

 

 「西田哲学」はすでに存在するので、「とっつぁん哲学」の一端として。  

 

 「数」とは、「それ自体としては概念内容を完全に脱色した端的かつ自存的抽象関係属性」のことである。その論理的基礎は、すべてその均質性と現実への転化可能性によって与えられる。  

 例)円の直径に円周率をかけると円周の長さになる  

 

 「時間」とは、「任意の場における森羅万象の斉即性」のことである。 物理学では時間は「矢」に例えられるが、我々の考えでは時間は「波」だと認識する。 

 例)遠くでカラスが鳴いているが、それを聴いている自分と時間を同じくしていると認識する  

 

 「空間」とは、「方向性(ベクトル)を持たない場」のことである。

 例)宇宙空間

 

 「重力」とは、「不可視な枠(閉じた燃焼による鏡)」であり、電気結合体の差別を作る。言い換えれば、重力とは「物性距離の(電子衝突密度がきわめて高いと言う意味での)電気論的な相対的縮み」である。見かけ上は慣性のように見えるが、彗星のような単なる慣性体の場合、その中心に穴があれば、中心の物体は中心に固定されるので、重力は単なる慣性ではない。したがって重力は運動によって生じる訳ではなく、閉じた燃焼によって生じる(真空とは純粋物質だと考える)。

 例)地球上のもののふるまい、摩擦消化力の弱い大気圏上層ほど摩擦係数は大きい

 

 「お金」とは、「さまざまな自然・人工資源の社会的限定性認知の一意な測度(ものさし)」である。そもそもは、王様が奴隷たちの差を付けるために与えられた恩寵の証であった。なお、それで分かっていただけるかとは思うが、「価値」とは「対象の社会的限定性認知の帰結」である。  

 例)家賃、税金、電化製品…

 なお、「お金」の「値」、すなわち「値段」は、「経済学」で言うような「需要と供給の均衡点」になるわけではなく、「それぞれの事情の反映」だと考える。また、「価値」の源泉は「希少性」にではなく、「社会的限定性」にある

   

 また、「美」とは一般的に「心を凜として(つまり、感情のそれではなく、認知の緊張性を以て)惹き付けるもの」だと考える。しかし、芸術と美に直線的な相関があるわけではなく、芸術とは「ゼロのカンバスに心を凜として惹き付ける素材を描ける特異な心のなせる業」であると考える。

 

 「存在」とは「それを認める」と同値の概念だと考える。

 「意味」とは「参照性(存在の相即性)」のことである。

 「理解」とは「どう言うことかが分かること」である。したがって、それには準拠事象があると言う以上に、それを法則的な項を立てて説明することができない。

 

 そして、「判断」とは「認識の加減算(加…賦与・付加/減…控除・否定)」だと考える。

 

 「現実」とは「生活(=肌感覚)にとってどうか」と言うことである。

 

 「言葉」とはそもそもは「特徴の音声化」であり、大きな目で見ればすべての「言葉」は「形容詞」である。ただし、分析的にみると、「即性」と「示置性」からなる。

   

 さいごに、「芸術」の本質は「印象づけデフォルメの才覚の足跡」と言うことができる。

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